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- DAT番号
- 44
- 曲・解説順番号
- 7
- 曲名・解説タイトルよみ
- サクラソウゴロウ(ホンナダイ:フダンザクラシモウサミヤゲ)
- 曲名・解説タイトル:副題
- 上の巻「宗吾住家の段」
- 曲名・解説タイトルよみ:副題
- ジョウノマキ「ソウゴスミカノダン」
- 作曲者、作詞者
- 作曲:初世富士松魯中
- 作曲者、作詞者よみ
- サッキョク:ショセイフジマツロチュウ
- 解説者
- 石川潭月
- 注記2
- [オープニング音楽:三味線の合奏]解説:(アナウンス:男性)今月の邦楽鑑賞会は大曲を聴くという趣向でございます。今日はその一回目で新内の「不断桜下総土産 佐倉宗吾郎」を聴いて頂きますが、演奏の前に作家の石川潭月さんからこの曲についてお話を伺いましょう。それでは石川さんどうぞ。(石川)江戸時代の川柳に「身を捨てて佐倉に花の咲く宗吾」というのがございますが、これからお聴きいただく新内の佐倉宗吾郎は今から約100年ほど前の安政3年の夏、富士松魯中の節付けでできたものです。歌詞は義太夫から採ったといわれておりますが、歌詞だけでなく、浄瑠璃の語り口もかなり義太夫の匂いがするように思われます。新内節中興の祖と言われる富士松魯中は「真夢」「弥次喜多」などの節付けで皆さんにはおなじみですけれども、魯中は日常自分で「自分の流儀はいわゆる新内節ではなくて富士松浄瑠璃である」ということを言っております。ですから当時の新内節と比較して、もっと格調の高い、精品なものを作ろうと、魯中は努力していたんだろうと思われます。そして、そのねらいが成功した事はいろいろな傑作があることで皆さんご承知の通りです。これから演奏の佐倉宗吾郎も、従来の新内という観念からしますと、一種違った素材を扱っておりますけれども、これも当時、佐倉宗吾郎が歌舞伎で大当たりを取ったという事だけでなく、魯中が自分の主張を一つの形に表した、と、こう思ってもいいんではないのでしょうか。ところでこの浄瑠璃が義太夫の匂いがするということは今申しましたが、下の巻の子別れは浄瑠璃も三味線もそういう意味で大変難しい難曲中の難曲だといわれております。殊に下の巻の親子が水さかずきで別れをするくだりは、他の曲には出てこない三味線の手も出てくるようです。それから前半の女房おさんの口説、下の巻の段切れ、一体に音楽的に面白くできておりますが、こういう珍しいものですからどこを聴き所というよりは、全部を聴き所という風な鑑賞をして頂けたらと思います。だいたい富士松魯中の浄瑠璃というものは口説の箇所が音楽的に優れているのが特長のようですけれども、この佐倉宗吾郎の浄瑠璃でも「真夢」や「弥次喜多」の組討の口説などと同じような魯中の特色が充分に発揮されているという点で、難曲ではありますけれども、新内節の傑作の一つに数えられていいのではないかと思われます。それに、こうした現代人にも理解され、また共感を呼ぶ浄瑠璃というものは数の点から言っても珍しく貴重なものだと思われます。ざっとあらすじを言いますと、下総国佐倉の領主、堀田上野介の年貢の取立てが厳しいので名主が集まった上で江戸にある堀田家へ訴訟に出向きます。堀田家では取り合わないので老中へその苦情を訴え、さらに埒が明かないのでいよいよ将軍家へ直訴をしようという覚悟を決めて、佐倉宗吾郎は妻や子供に別れをしようという事で、佐倉の自分の家へ帰って参ります。そして後で妻や子供に難儀のかからないように、離縁状を女房に突きつけますが女房は夫と死なばもろともと、去り状を引き裂いて覚悟の程を表すと、これが上の巻。それから、いよいよ妻や四人の子供と水さかずきをして宗吾郎が再び江戸へ向って雪の中を出て行く、これが下の巻で、この下の巻がたいへんに難しかったり、あるいは地味である点で、あまり演奏されないようですけれども、今日は上の巻、下の巻通して聴いて頂くということでございます。
- 分類番号
- koizumi102_豊後系浄瑠璃
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- 録音年
- 1962年5月