松加根 ユンタ

DAT番号
356
曲・解説順番号
22
曲名・解説タイトルよみ
マツガネー ユンタ
演奏者
浦原啓作、他
演奏者よみ
ウラハラケイサク、ホカ
解説者
浦原啓作
注記2
『八重山ユンタ集―沖縄古謡―』74ページに「38、松加根 (まつがねー) ユンタ」「一、松加根 (まつがねー) ぬ まいふなーどぅ やだそうぬ/二、いみしゃから 堀 (ふ) り立 (た) てーどぅ うだそうぬ/三、幼少 (くゆさ) から 穴掘 (あなぶ) り家 (やー) どぅ やだそうぬ/四、外雨戸 (ふかやどぅ) や とぅる壁雨戸 (くびやどぅ) どぅ やだそうぬ/五、内戸 (うつぃやどぅ) や つぃにふ戸 (やどぅ) どぅ やだそうぬ/六、ならふどぅぬ たきふどぅぬ いぶだらー/七、於茂登山 (うむとぅやま) 照 (てぃら) し頂上 (つぃづぃ) 登 (ぬぶ) りょうり/八、きゃんぎ木 (きー) 白 (しる) みじょうば 取 (とぅ) り出 (いだ) し/九、時 (とぅき) いらな 暇 (ぴま) いらな 家持 (やーむ) ち来 (きー)/十、島々 (すぃまずぃま) ぬ 村々 (むらむら) ぬ 内 (うつぃ) から/十一、大工主 (だいくしゅ) 手勝 (てぃーまさ) りやーば 頼 (たぬ) みょうり/十二、大工主 (だいくしゅ) 手勝 (てぃーまさ) りやーぬ 言葉 (くとぅば) ぬ/十三、いつぃや貫 (ぬくぃ) ななや貫 (ぬくぃ) 貫立 (ぬきた) て/十四、いつぃや貫 (ぬくぃ) ななや貫 (ぬくぃ) 家 (やー) ぬさあるぃ/十五、外雨戸 (ふかやどぅ) や 白 (しる) みじょうば はい立 (た) て/十六、内戸 (うつぃやどぅ) や きゃん木戸 (ぎゃやどぅ) ば はい立 (た) て」、75ページに「十七、思 (うも) うだ事 (くとぅ) 願 (にが) いだ事 (くとぅ) 適 (かな) しょうり/十八、うんからどぅ 松加根 (まつがねー) で 名取 (なあとぅ) らりだ」「解説/封建時代石垣島の宇石垣に貧乏士族の小倅 (せがれ) 松加根少年がいた。母と姉との三人暮しで、三度の飯にもことかき、松加根が拾う百姓の堀り残した芋(いも)を食糧にしていた。ある日の雨上りに芋を拾っていると、畑を見回りにきた持主の百姓にみつかりしたたか鞭 (むち) で打たれた。雨上りの畑を踏み荒すと農作物ができなくなるという理由からであった。松加根少年は泣きながら家に帰ると、母や姉も悔し泣きをして松加根を激励した。そこで夜を日に継いで勉学にいそしんだ。そのかいあって役人の登庸試験に次々と合格し、八重山島最高の行政官石垣頭職に就任した。その間松加根は、山から建築材を切り出させ、豪壮な邸宅をもかまえた。頭職就任と家屋新築との披露宴を催すことになったが、自分が発奮して大成したのは、少年のころ自分を鞭で打った百姓のおかげだということで、その百姓を招待した。その百姓は豪農で、多額納税者のゆえに筑登光の位階を授けられた大川の真津という八十五歳の老人であった。半信半疑で招待に応じた。石垣頭職が真津筑登光の前にいって頭をさげ感謝したとき、真津筑登光は昔の記憶を呼びさまして驚嘆した。そのとき感きわまって唇から流れ出たのが「松加根ユンタ」である。貧乏の掘っ立て小屋から本建築の建物に移り、役人の登庸試験を次々に合格する経過を叙事詩風にうたっている。/その後、家屋新築落成祝いの真先に嘉例の儀式ユンタとして合唱されるようになった。したがってユイ回りの労働にはうたわれない。」と記載(小泉文夫による音階分析の書き込みあり)。
分類番号
koizumi154_八重山諸島koizumi2_北アジア、東アジア
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録音年
1970年10月