安里屋 ユンタ

DAT番号
356
曲・解説順番号
20
曲名・解説タイトルよみ
アサドゥヤー ユンタ
演奏者
浦原啓作、他
演奏者よみ
ウラハラケイサク、ホカ
解説者
浦原啓作
注記2
『八重山ユンタ集―沖縄古謡―』70ページに「36、安里屋 (あさどぅやー) ユンタ」「一、安里屋 (あさどぅやー) ぬ くやーまにヨ あん美 (ちゅら) さ 生 (ま) りばしヨ/二、いみしゃから 美 (あふゎ) り生 (まり) ばし 幼少 (くゆさ) から 白 (しる) さ産 (すでぃ) ばし/三、目差主 (みざすぃしゅ) ぬ くゆだらよ あたろやーぬ 望 (ぬず) みょうたよ/四、目差主 (みざすぃしゅ) や 私否 (ばなんぱ) よ あたろやーや 是 (く) りゃゆむよ/五、何故 (なゆ) でから 否 (んぱ) ですよ 如何 (いきゃ) でから ゆむですよ/六、後 (あとぅ) ぬ事 (くとぅ) 思 (うむ) いどぅよ 先 (すら) ぬ為 (たみ) 思 (うむ) いどぅよ/七、後 (あとぅ) ぬ事 (くとぅ) うら心配 (しゅば) すぃむぬ 先 (すら) ぬ為 (たみ) うら心配 (しゅば) すぃむぬ/八、島 (すぃま) ぬ夫 (ぶどぅ) 持 (む) ちゃばどぅよ 国 (ふん) ぬ里 (さとぅ) かくばどぅよ/九、後 (あとぅ) ぬ為 (たみ) あるですよ 先 (すら) ぬ為 (たみ) あるですよ」、71ページに「十、否 (んぱ) でから みしゃさみよ ゆむでから ゆくみしゃよ/十一、否 (んぱ) ですぬ 見 (み) るみんよ ゆむですぬ 聞 (すぃ) くみんよ/十二、仲筋 (なかすぃずぃ) に 走 (ぱ) り行 (い) きよ 国角 (ふんかどぅ) に 飛 (とぅ) ばしゃ行 (い) きよ/十三、道巡 (みつぃみぐ) り 見 (み) るけどぅよ 飛 (とぅ) ん巡 (みぐ) り 見 (み) るけどぅよ/十四、美子 (あふゎふゎあ) ぬ 出合 (いきゃ) ゆてぃよ 乙女 (みやらび) ゆ 取 (とぅ) らゆてぃよ/十五、誰 (たる) が子 (ふゎあ) で 問 (とぅ) ゆだらよ じりが子 (ふゎあ) で 尋 (たずぃな) いたらよ/十六、まかど子 (ふゎあ) ぬ いつけーまよ 加根 (かね) ま子 (ふゎあ) ぬ 乙女 (みやらび) よ/十七、まかど子 (ふゎあ) や 私 (ばぬ) ん呉 (ひい) りゃな 加根 (かね) ま子 (ふゎあ) や 是 (く) りゃんおいしゃーな/十八、欲 (ふ) しゃでから うやいすよ 望 (ぬずぃみ) から 連 (さあ) りおーりよ/十九、余 (あんま) ぬ嬉 (きにしゃ) んかい 抱 (だ) ぎおーりよ どぅぐぬ愛 (かな) さん 地 (ずぃ) やんざん踏 (ふ) まな/二十、んぶふりぬ 道 (みつぃ) からよ 岡 (むり) や頂上 (つぃづぃ) 道 (みつぃ) からよ/二十一、波座間村 (はざまむら) 連 (さあ) りおーりよ 親村 (うやむら) に ぱりおーりよ/二十二、ういか家 (やー) ぬ 裏座 (うらざ) によ 目差親 (みざすぃやー) ぬ 座敷 (ざすぃき) によ/二十三、八折屏風 (やぶるべえふ) ぬ 中 (なか) なんが 八折屏風 (やぶるべえふ) ぬ 内 (うつぃ) なんが/二十四、腕 (うでぃ) やらい ゆくいどぅし 股 (むむ) やらい 寝 (にん) どぅしょうる/二十五、男子 (びふなーふゎあ) ん 作 (つぃく) るどぅしょうる 女子 (みどぅなーふゎあ) ん 好 (くぬ) みどぅしょうる/二十六、男子 (びふなーふゎあ) や 島持生 (すぃまむちま) りばし 女子 (みどぅなーふゎあ) や 家持生 (やーむちま) りばし」「大意/竹富島の安里屋のくやーまは、音にきこえた美人であった。島の役人が妻に欲しいといったが承諾しなかった。なぜいやかと聞いたら、島の男を夫に持った方が将来のためになるというのだった。役人はくやーまの面 (つら) 当てのために隣部落の仲筋から手ごろの乙女を射止めて妻にした。八折屏風に絹の布団、その中で夫婦の交わりをして、男と女の子が生れた。安里屋のくやーまは少しもうらやましがらなかった。」「解説/このユンタは絶対の権力を持ち、権力をかさにどんなことでもできる当時の役人へのレジスタンスであった。それが今日まで高く買われている。」と記載(小泉文夫による音階分析の書き込みあり)。
分類番号
koizumi154_八重山諸島koizumi2_北アジア、東アジア
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録音年
1970年10月