崎山 ユンタ

DAT番号
356
曲・解説順番号
10
曲名・解説タイトルよみ
サキヤマ ユンタ
演奏者
浦原啓作、他
演奏者よみ
ウラハラケイサク、ホカ
解説者
浦原啓作
注記2
『八重山ユンタ集―沖縄古謡―』57ページに「26、崎山 (さきやま) ユンタ」「一、崎山 (さきやま) ぬ 新村 (あらむら) ゆ たてぃだそう/二、誰 (た) るぬ主 (しゅ) ぬ じりぬ親 (うや) ぬどぅ たてぃだそ/三、何 (な) ゆぬ故 (ゆ) ん 如何 (いきゃ) ぬつぃにゃんどぅ たてぃだそ/四、興那 (ゆな) ぐふつぃ 野浜 (ぬはま) ふつぃぬ 故 (ゆや) んどぅ/五、波照間 (はてぃろーま) ぬ 下八重山 (すぃむやえま) ぬ 内 (うつぃ) から/六、女百 (みどぅなーむゝ) ゆ 男八十 (びふなーやす) ばぎられ/七、誰 (た) る誰 (た) るどぅ じりじりで 思 (うむ) い居 (う) るけ/八、私 (ばん) とぅ 是 (く) り是 (く) りとぅ 私 (ばん) ばぎられ/九、たんでぃとうどぅ 御拝 (みはい) とうどぅ 主 (しゅ) ぬ前 (まい)/十、許 (ゆる) しゃ呉 (ひい) り 肝 (きむ) しゃ呉 (ひい) り 主 (しゅ) ぬ前 (まい)/十一、私心 (ばんくゝる) 肝心 (きむぐゝる) あらぬそ/十二、天 (てぃん) ぬ御意 (ぐい) 御主 (うしゅ) ぬ御声 (みぐい) やりばどぅ/十三、許 (ゆる) す事 (くとぅ) 肝 (きむ) す事 (くとぅ) ならぬそ/十四、天 (てぃん) ぬ雨 (あみ) 夜間 (ゆま) ぬ露 (ちゅう) やりばどぅ/十五、笠 (かさ) ば取 (とぅ) り 蓑 (みぬ) ば着 (き) し 私連 (ばんさあ) り/十六、泣 (な) く泣 (な) くとぅ ゆむゆむとぅ ばぎられ/十七、ゆくいつぃづぃ 遊 (あす) び頂上 (ぱな) 登 (ぬぶ) りょうり/十八、波照間 (はてぃるま) ゆ 生 (ま) り島 (ずぃま) ゆ 見上 (みあぎ) りば/十九、私家 (ばや) ぬ母 (あふ) 産 (な) しゃる親 (うや) ぬ 真面見 (まむてぃみ) るそんや/二十、見 (み) らでぃしば 目涙 (みなだ) まり 見 (み) らるぬ/二十一、行 (い) かでぃしば 遠 (とぅ) ゆさぬけ 行 (い) かるぬ/二十二、泣 (な) く泣 (な) くとぅ ゆむゆむとぅ 戻 (むどぅ) りき/二十三、立 (た) つぃな立 (た) つぃ 居 (う) るぃな居 (う) るぃ 見 (み) るけどぅ/二十四、崎山 (さきやま) どぅ 新村 (あらむら) どぅ 嬉 (さに) しゃある」「大意/波照間島からなん百人という男女が西表島の崎山に強制移民に送られた。島においてくれと哀訴嘆願しても、国王の命令なので絶対服従であると役人は耳を貸さなかった。泣きながら離村し、崎山の高い山に登って故郷波照間島を眺めて泣いた。」「解説/人頭税時代は植民地政策を断行したが、その悲しみをうたったものである。」と記載(小泉文夫による音階分析の書き込みあり)。
分類番号
koizumi154_八重山諸島koizumi2_北アジア、東アジア
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録音年
1970年10月