〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージ

The Roadmap for The World Music: The Message from Fumio Koizumi

戦後日本の音楽文化に「民族音楽」という風穴を開け、日本音楽の再発見をうながした故小泉文夫(東京藝術大学元教授、1927-1983)。
 三十三回忌にあたる今年、その業績と思想を、演奏とともに振り返ります。

日時

2015年7月5日(日)|13:00開場(映像上映を予定)/ 14:00開演
July 5 (Sun), 2015|Doors open at 1PM (We intend to show several movies) / The show starts at 2PM.

会場

東京藝術大学奏楽堂
Sogakudo Concert Hall, Tokyo University of the Arts

入場料

1000円(高校生以下無料)
¥1,000 (Free for Under Highscool Students)
チケット取り扱い:
チケットぴあ nihondento(Pコード:262253|tel:0570-02-9111|お店:セブンイレブン、サークルK・サンクス、ぴあのお店)
芸大美術館ミュージアムショップ(tel:03-5685-1176)

全席自由 

All seats are general admission.
※ 未就学児童の同伴はお断りいたします。Preschoolers are not admitted to enter.
※ 車椅子用の座席は2席ご用意しております。We have 2 wheelchair seats.

主催

「〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージ」音楽会実行委員会 *

協力

東京藝術大学音楽学部

協賛

一般財団法人 民主音楽協会、株式会社 大入、キングレコード株式会社、株式会社 教育芸術社、株式会社 音楽之友社

助成

(公財)朝日新聞文化財団、藝大フレンズ賛助金助成事業

後援

(公財)日本伝統文化振興財団
nihondento

企画・製作・運営

企画・製作|植村幸生、尾高暁子、久保仁志、小柴はるみ、松村智郁子
舞台監督|三津久
舞台演出|池田光輝、西原尚、藤田龍平、村上史郎、森重行敏、森純平
スタッフ|北田千尋、田中教順、土倉律子、野中浩一、藤田実恵、藤原僚平、宮石悠平、森山泰地
映像記録|高良嶺、徳永桜介、和久井幸一
運営協力|植村紀子、大田美郁

*1.「〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージ」音楽会実行委員会:秋山晃男、植村幸生(実行委員長、東京藝術大学音楽学部教授、同小泉文夫記念資料室長)
尾高暁子、久保仁志、小柴はるみ(事務局長)、田村史子、西田克彦、松村智郁子、山川泉

プログラム *

司会:田中美登里 M.C.: TANAKA Midori

オープニング Opening

1. 長唄 Nagauta:
味見純(唄)、味見亨(三味線)、新井康子(三味線)、中川善雄(笛)
AJIMI Jun (vocal), AJIMI Toru (shamisen), ARAI Yasuko (shamisen), NAKAGAWA Yoshio(fue
曲名:「黎明」中内蝶二作詞 山田抄太郎作曲
program: “Reimei”, lyrics by NAKAUCHI Chōji, composed by YAMADA Shōtarō

2. 小泉文夫の足跡(映像)KOIZUMI Fumio’s achievements(movie)

3. 南インド・ヴィーナー Carnatic Music (Veena) :
的場裕子(ヴィーナー)、荒井俊也(ムリダンガム)、竹原幸一(モールシン)、井上貴子(タンブーラ)
MATOBA Yūko (veena), ARAI Toshiya (mridangam), Chandhan Rangarajan (violin), TAKEHARA Kōichi (Morsing), INOUE Takako (tambura)
曲目:クリティ「シュリー マハー ガナパティ」(ラーガ:ガウラ、ターラ:ミスラ チャープ) ムットゥスワーミ・ディークシタル作曲
program: Kriti “Sri Maha Ganapati”, (Raga: Gaula, Tala: Misra capu) composed by Muttuswami Dikshitar

4. 南インド・声楽 Carnatic Music ( Vocal):
井上貴子(声楽)、荒井俊也(ムリダンガム)、チャンダン・ランガラージャン(ヴァイオリン)、竹原幸一(モールシン)、的場裕子(タンブーラ)
INOUE Takako(vocal), ARAI Toshiya (mridangam), Chandhan Rangarajan (violin), TAKEHARA Kōichi (Morsing), INOUE Takako(tambura)
曲目:クリティ「ラーガスダー・ラサ」(ラーガ:アーンドーリカ、ターラ:アーディ) ティヤーガラージャ作詞・作曲
program: Kriti “Ragasudha rasa”, (Raga: Andolika, Tala: Adi) composd by Tyagaraja

5. インドネシア バリ・ガムラン Balinese Gamelan:
皆川厚一、増野亜子、城島茂樹、濱元智行
MINAGAWA Kōichi, MASHINO Ako, SHIROSHIMA Shigeyuki, HAMAMOTO Tomoyuki
曲目:グンデル・ワヤン「ムラッ・ンゲロ」
program: Gender Wayang “Merak Ngelo”

6. モンゴル・ホーミー Mongolian Throat Singing:
B. ボルド‐エルデネ(ホーミー) Baatarjav Bold-erdene (mongolian throat singing)
曲目:「モンゴルのホーミー、その技のメドレー」
program: “Mongolian Throat Singing, a medley of its techniques [styles] ”

7-1. ウイグル・ラワープ Uyghur Rawap:
アブドセミ・アブドラフマン(ラワープ) Abudusaimi Abudureheman (rawap)
曲目:「ラク・ムカームのテーゼ間奏曲」
program: “Tääzzä Märghuli of Rak Muqam”

7-2. ホーミーとラワープによる即興演奏 Improvisation: Throat Singing and Rawap
B. ボルド‐エルデネ(ホーミー)、アブドセミ・アブドラフマン(ラワープ)
Baatarjav Bold-erdene (mongolian throat singing), Abudusaimi Abudureheman (rawap)

—— 休憩 intermission ——

8. 邦楽囃子 Hōgakubayashi:
望月太左衛(小鼓)、安倍真結(大鼓)、望月太左乃(太鼓)
望月美都輔(笛)、長谷川愛子(筝)、細川英子(筝)、細川喬弘(筝)
長谷川莉奈(小鼓)、嶋田りんの(小鼓)
台東区立富士幼稚園 園長 大村弘子(謡)、年長組と年中組園児9名(小鼓)及び保護者(鈴)
MOCHIZUKI Tazae (kotsuzumi) and her groups
曲目:「三番叟~五人囃子といっしょ~」望月太左衛編曲
program: “Sanbasō with Gonin-bayashi” arranged by MOCHIZUKI Tazae

9. 尺八 Shakuhachi solo:
クリストファー遙盟
Christopher Yohmei Blasdel
曲目:琴古流尺八本曲「一二三鉢返調」
program: Kinko shakuhachi honkyoku, “Hifumi Hachigaeshi no Shirabe”

10. 雅楽 Gagaku
宮丸直子(三ノ鼓)、中村仁美(篳篥)、伊崎善之(高麗笛)
MIYAMARU Naoko (san-no tsuzumi), NAKAMURA Hitomi (hichiriki), IZAKI Yoshiyuki (komabue)
曲名:高麗楽「白濱」
program: Komagaku “Hōhin”

11. インドネシア ジャワ・ガムラン Javanese Gamelan
曲目:「PÈNGÊTAN 33 TAHUN SANG FUMIO KOIZUMI 小泉文夫“頌”」 サプトノ作詞・編曲
program: “PÈNGETAN 33 TAHUN SANG FUMIO KOIZUMI” lyrics and arranged by Saptono
サプトノ、田村史子、佐藤まり子、森重行敏、芹澤薫、皆川厚一、村上圭子、慶野由利子、森岡真理子、木村佳代、白井眞由美、山田敦子、鴻巣香、二藤宏美、植村幸生、風間純子、福岡正太、遠藤和宏、大田美郁、植村紀子、中田一子、三浦牧子、櫻井陽、黒木泰志、佐々木翔太郎
Saptono, TAMURA Fumiko, Saptono’s pupils

エンディング closing

* チラシおよびパンフレットとは一部情報が異なっておりますが、当日の状況を反映しております。

ドキュメント

ホワイエでの楽器展示風景

展示概要

小泉文夫記念資料室が所蔵する約800点の楽器のうち以下を展示した。

● エジプトのウード
ユーラシア大陸で、東西の琵琶系統の楽器の伝播を象徴するウードは、西アジアでは美しく飾られ「楽器の女王」とされてきた。この楽器は、小泉教授が1964年にカイロで特別に注文して入手したものと思われるが、愛蔵の楽器のひとつである。
● チベット仏教の笛と太鼓
チベット仏教の儀式で用いられる神聖な楽器である。笛(カンリン)は人間の足の骨から作り、また、ふり鼓(ダマル)は、本来人間の男女の頭蓋骨で作られ、膜に人間の皮を張る。この例では動物の皮。
● いろいろな口琴
口に響かせて微妙な音を楽しむ楽器。アイヌのムックリのように紐で振動させるものと、指先ではじくものとがあり、また竹製や金属製のものなど世界中に分布している。台湾には竹と金属を組み合わせた多弁の口琴があり、いろいろな旋律を楽しむ。

展示ケース2台による展示
(左奥より手前に向かって)ダマル、カンリン、(右奥より手前に向かって)チャング、ムルシン、ムックリ、ロボ、クビン、クビン、ダマル、カンリン
(左奥より手前に向かって)ハッシャービ、ネイ、マトブジ、(右手)ウード

オープニング前の映像上映

「〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージ・コンサート記念映像」

ホワイエと会場内での映像上映

オープニング前、ホワイエと会場内にて「〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージ・コンサート記念映像」(財団法人 民主音楽協会提供)を上映した。

オープニング

開始を告げる吹き流しとベル

吹き流しとベルを持って会場をめぐる藤田龍平

オープニングは藤田龍平の吹き流しとベルによるパフォーマンスによって緩やかに始まった。会場全体を淡い色の吹き流しがゆったりとめぐり、断続的にベルが鳴ることによって幕開きへの緊張感が少しずつ高まっていった。

開演の挨拶

司会の田中美登里

司会:「〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージにようこそお出でくださいました。私は司会を務めます田中美登里です。 世界50数か国で、諸民族の音楽の調査研究を行った小泉文夫教授が、56歳で突然この世を去れてから、今年で32年がたちます。すなわち33回忌にあたる今年、その記念として企画されたのがこの演奏会です。教授はいったいどんな音の世界を探求したのでしょうか。本日はその足跡を、縁(ゆかり)の音楽家や門下生の演奏で、皆様とご一緒にたどりたいと思います。 それでは演奏会の幕開きに、夜半から夜明けへの移り変わりを描いた長唄の名曲、『黎明』をお聴きいただきましょう。」

1. 長唄

「黎明」

左手奥より味見純(唄)、味見亨(三味線)、新井康子(三味線)、中川善雄(笛)
左手、味見亨、右手、新井康子

「黎明」
昭和7年(1932)の作。作曲の山田抄太郎は、東京音楽学校教員を経て東京藝術大学邦楽科で教授をつとめた。人間国宝、文化功労者、また長唄東音会の創設者でもある。作詞の中内蝶二は、小説家、劇作家、ジャーナリストとして活躍し、長唄の作詞も手がけた。曲は、夜明けの鐘の音とともに半夜の暗闇が次第に色づき、神羅万象が目覚める情景を、唄と三味線のリズムで描き出す。生き生きとした人々の日常のエネルギーや喜びが音の中にあふれ、昭和初期のモダニズムを反映する1曲でもある。本来の編成では明けの鐘をあらわす銅鑼が加わるが、本日は、唄と三味線のみで演奏する。(これより以下の曲目解説はすべて『〈民族音楽〉との邂逅 —— 小泉文夫のメッセージ・パンフレット』より転載。)

「日本も、イランやインドと同じように、旋律の豊かな国の一つだと思う。音楽の主要な柱である旋律を、より美しく、より感動的にうたうため、発声やユリに工夫をこらし、伴奏楽器との関係に特別の考慮をはらう芸術的技巧が、極度に発達している国である。」小泉文夫『呼吸する民族音楽』(1983)
司会:「有り難うございました。ただ今三味線を演奏された味見亨さんは、小泉教授と同じころに東京芸大邦楽科におつとめで、同僚として交流を深められたと伺っています。本日はそのご縁で特別にご出演いただきました。御年83歳ながら、現役として舞台や放送で活躍なさっています。『黎明』は昭和7年の作ですが、作曲者の山田抄太郎も東京音楽学校の教員で、戦後は芸大教授となりました。新しい時代にふさわしい長唄を追求し、邦楽の世界で大きな貢献をはたした人物です。いっぽう作詞者の中内蝶二は、ジャーナリストであり、戯曲作家でもありました。初代水谷八重子の当り役となった『大尉の娘』という新派の作品も、中内の手になります。こんな二人の大看板ともいうべき昭和期の作品なので、さきほどの舞台では、古典曲で定番の金屏風に緋毛氈というセッティングではなく、白地の屏風に紺色の毛氈がつかわれました。皆様、お気づきでしたか。この作品は、ふだんあまり演奏されませんので、こうして聞かせていただけて、とてもラッキーでした。小泉教授は、次のコーナーでご紹介するとおり、日本音楽を出発点として世界の音楽研究に足を踏み入れました。それを考えますと、この『黎明』が本日の演奏会のプロローグとして選ばれたことに、とても深い意味を感じます。
ここからは小泉教授の生い立ちから、歩んだ道のりに目をむけて参りましょう。
小学生のころ、小泉少年が最初に熱中した音楽はヴァイオリンでした。多趣味な父親の影響で、二人の兄たちも色々な楽器を手にし、蓄音機で音楽に聞き惚れ、兄弟3人とも大のクラシック好きになったそうです。小泉家には、若い家庭教師の先生が出入りし、ギターもピアノもひけば、水泳もボクシングもやる、寄席にも連れて行ってくれる、といった具合で、遊びのインストラクターにもなってくれました。文夫少年は、小泉家の自由な教育方針のもとで、西洋音楽の素養を身につけたのです。このあたりの事情は、門下生でノンフィクション作家の岡田真紀さんが、著書の『世界を聴いた男 小泉文夫と民族音楽』で紹介されています。岡田さんはこんなことも書いています。『ピアノのように叩けば決まった音が鳴るものではなく、自分で音程を作らねばならない弦楽器から音楽にはいっていったことが、のちにペルシアやアラビアの音楽の微妙な音程のちがいを聞き分ける耳の良さにつながったのだろう』。たしかに、そうした一面があるかもしれません。 旧制高校時代にはキリスト教と賛美歌の世界に浸っていた文夫青年でした。ところが大学に入り、日本音楽研究家である吉川英史氏の講義で、日本音楽の実演に間近で接し、大きな衝撃を受けました。それが、後の研究活動を左右する、人生のターニングポイントとなったのです。こうして導かれた自身の中での日本音楽再発見こそ、小泉教授の調査研究の根底をなしたと言えるでしょう。
その後の活躍について、ここからはスライドと映像で、振り返りたいと思います。画面をご覧ください。 」

2. 小泉文夫の足跡

映像上映

上映された映像

映像「小泉文夫の足跡」は、「1. インド留学」「2. 世界を聴く」「3. 放送と舞台」「4. 日本音楽へのまなざし」「5. わらべうた」「6. 沖縄」「7.〈民族音楽〉を芸大に」「8. 受け継がれる『小泉イズム』」という8つのチャプターから構成された。インド留学から没後32年の今年(2015)に至るまでおよそ10分間でその足跡を追った。

司会:「1. インド留学:インド留学は民族音楽学者・小泉文夫の原点である。1950年代、インドを留学先に選ぶ日本人は稀であったが、インドを中心に西と東の文化を相互に眺めわたそうとする、三角測量的発想が彼にはすでにあった。南インドと北インドの両方の音楽学校に学んだことも異例であった。以来、小泉にとってインドは生涯にわたって愛着の対象でありつづけた。彼に続く日本人留学生にも惜しみない協力を与えた。
2. 世界を聴く:小泉が生涯に訪れた国は50ヶ国。各地で収集された蔵書の言語も40数カ国語に及ぶ。極北、沙漠、熱帯雨林へとその足どりは止まるところを知らない。そこで出会った音楽の現場(フィールド)、そして人々との交流の数々。これらの写真は小泉がつねに世界一流の人たちと交友をもったことの証でもある。
3. 放送と舞台:テレビ、ラジオ、舞台。それらは小泉のまたとない表現の場、あるいは『遊び場』であったかもしれない。彼は確かにメディア文化の寵児であった。小泉とともに、〈民族音楽〉は放送の必須コンテンツとなり、ブームとなり、ついには戦後大衆文化の一角を占めるに至った。いま生きていたならば、小泉はインターネットをどのように使いこなすことであろうか。
4. 日本音楽へのまなざし:小泉は日本音楽の理論的研究者としてデビューを果たした。画期的な音階論で知られる、最初の著書『日本伝統音楽の研究1』はいまなお学界の金字塔である。西洋音楽に圧倒される日本音楽の行く末、日本人にとっての真の音楽、子どもの音楽教育のあり方、それらの問いは小泉の脳裏をひとときも離れることがなかった。小泉が雅楽・声明の貴重な古譜や楽書を所蔵していたことも、彼の知られざる一面である。
5. わらべうた:わらべうたを見よ。これが小泉の音楽研究の方法論である。東京のわらべうたの悉皆調査は、彼の音階理論を立証しただけではない。世界の音楽をその 『基層』からみる視点、そして共同研究の手法を音楽学にもたらした。わらべうたで遊ぶ子どもたちへの愛情はやがて著書『おたまじゃくし無用論』を生んだ。
6. 沖縄:日本人にとっての真の音楽を訪ねる旅は沖縄へと続く。米軍統治下の沖縄調査を皮切りに、芸大『民族音楽ゼミナール』を率いた沖縄・奄美民謡調査は二十年以上に及んだ。沖縄の人たちの豊かな音楽性は小泉に無限のインスピレーションを与えた。また学生にとってはフィールドワーク修練の場でもあった。『沖縄民謡採集手帳』(通称『毛語録』)には門下生のさまざまな思い出が詰まっている。
7.〈民族音楽〉を芸大に:東京芸大を世界の音楽の坩堝に。小泉の実験はガムラン、伽倻琴、シタール授業の開設へとつながる。一流の講師を迎え、一級品の楽器を揃えるのも小泉流である。もっとも小泉の自宅はすでに、出入りする学生達とともに世界の音楽を自由に遊ぶ坩堝になっていた。それから四十年、彼が『空想音楽大学』で説いた皮肉交じりの大学像は、いまや現実のこととなっている。
8. 受け継がれる『小泉イズム』:小泉文夫没後32年。彼の思想に、いまやっと時代が追いついてきたといえようか。あるいは、破格に広い視野をもった小泉のような人物を、時代が再び求めているのかもしれない。いま、音楽文化の未来を案じる多くの人がこのように自分に問いかけている。『小泉先生だったらどう考えるだろうか』と。」

3. 南インド・ヴィーナー

クリティ「シュリー マハー ガナパティ」(ラーガ:ガウラ、ターラ:ミスラ チャープ)

左手より荒井俊也(ムリダンガム)、井上貴子(タンブーラ)、的場裕子(ヴィーナー)、竹原幸一(モールシン)

クリティ「シュリー マハー ガナパティ」(ラーガ:ガウラ、ターラ:ミスラ チャープ)
この曲は南インドの三楽聖のひとり、ムットゥスワーミ・ディークシタル Muthuswami Dikshitar(1775-1835)によって作曲された。北インドとはスタイルの異なる南インドの古典音楽は、知識階級のバラモンに担われて発展し、そのラーガ(音階)とターラ(拍子)の理論体系は論理的で哲学的なインド本来の特質を引き継いでいる。南インドでは音楽ホールや寺院などで今日広く人々に親しまれている。 南インド音楽の楽曲レパートリーはすべて歌曲であり、ヒンドゥー教の神々を讃える宗教的内容を持つ。ディークシタルは大半をサンスクリット語で作曲しており、この曲は「宇宙の根源である神よ、あらゆる障壁を取り除く神よ 作曲者である私は偉大なるガナパティ(ガネーシャ)に合掌する」と歌われる。
ラーガ・ガウラは上行形が5音音階、下行形が6音音階で、下行する際にジグザグ進行を伴う。ターラはミスラ・チャープと呼ばれる3+4の7拍子。

「南インドで最も重要なリュート属の撥弦楽器はヴィーナである。[…]ヴィーナは[…]フレットを動かすことは出来ない。棹の上に蜜蠟で金属製のフレットを固定している。しかし一年に一度ぐらいはこの蜜蠟をとかして、厳密に調節し直す。[…]南インドのバラモン(ヒンドゥー教の僧侶)が主体となって作り出した音楽文化は、その渋い音色のヴィーナとともに、やはり世界に二つとない貴重な存在なのだ。」小泉文夫『呼吸する民族音楽』(1983)
司会:「ただ今ご紹介した足跡にもある通り、小泉教授はインドに留学しました。インドで相当なカルチャーショックを受けたことは、その著書からも伺えますが、その体験はその後の自身の興味や方向を決めるものでもあったようです。次に、彼の調査・研究の出発点ともなった、南インドの音楽をお聞きいただきます。 最初はヴィーナーの演奏です。小泉教授がマドラスの州立カルナータカ中央音楽院で最初に学んだ楽器が、ヴィーナーでした。曲はクリティ『シュリー マハー ガナパティ』です。」

4. 南インド・声楽

クリティ「ラーガスダー・ラサ」(ラーガ:アーンドーリカ、ターラ:アーディ)

左手より竹原幸一(モールシン)、荒井俊也(ムリダンガム)、的場裕子(タンブーラ)、井上貴子(声楽)、チャンダン・ランガラージャン(ヴァイオリン)

クリティ「シュリー マハー ガナパティ」(ラーガ:ガウラ、ターラ:ミスラ チャープ)
18-19世紀、南インドでは3人の楽聖が活躍し、古典音楽の黄金時代といわれる。彼らの作品の内容はヒンドゥー教の思想哲学的なもので、なかでもティヤーガラージャ(1767-1847)の作品は親しみやすい曲調と内容をもつ。また「南インドのベートーヴェン」と称され、ヨーロッパにも早くから紹介された。この作品は、音楽を通じた解脱を歌うもので、歌詞の大意は次のとおり。「ラーガの美酒を楽しむことは、供犠、瞑想、出家、快楽といった解脱の道に通じ、聖音オウムは永遠なる神の体現であり、そこから七つの楽音が生まれた。それに精通する者はもはや輪廻転生に縛らされることもない。」ラーガ・アーンドーリカの音列はサリマパニサ ― サニダマリサ(CDFGB♭C – CB♭AFDC)で、上行と下行が異なる5音を使用する。ターラ・アーディは4+2+2の8拍で1周期、ターラの頭から1拍半の所から曲が始まる。本日は自由なリズムの即興演奏アーラーパナを導入として演奏する。

「世界のいろいろな民族音楽の中で、その芸術的な香りの高さ、精緻な表現の深さの点で、インド音楽は特に注目に値する。何の予備知識もなしに、ふと耳にしただけで[…]独特の雰囲気に誘い込む魔力を感じさせる。[…]インド音楽の場合にも、東洋で比類のない完成された理論と実践の体系がある。このすぐれた理論こそ[…]音楽としての普遍的な美しさを感じさせる魔力の秘密なのである。」小泉文夫『呼吸する民族音楽』(1983)
司会:「小泉教授にインド留学を決断させたきっかけは、ベンガル民謡やタゴールの歌でした。その声の魅力とともに、東洋音楽の中で5音音階ではない7音音階の微妙な旋律の動きに魅了されたこと、そしてこのインド音楽を西洋と日本以外の第三の視点に据えたことでした。つまり、西洋とインドと日本という三角点で測ることによって、音楽をより客観的で確実に把握できるだろうと考えたわけです。さらにその音楽を実際に学ぶことによって、よりよく理解しようとつとめました。教授の後に続いて、同じようにインド音楽を学んだ弟子たちがおります。 ただ今お聞きいただいたヴィーナー演奏の的場裕子さんは、芸大で小泉教授に教えを受けた弟子のひとりですが、次に同じく弟子である井上貴子さんによる、南インドの声楽をお聞きいただきます。曲はクリティ『ラーガスダー・ラサ』で、あらたにヴァイオリンのチャンダン・ランガラージャンさんに加わって頂きます。タンブーラは的場裕子さんです。ではお聞きください。」

5. インドネシア バリ・ガムラン

グンデル・ワヤン「ムラッ・ンゲロ」

右手より皆川厚一、城島茂樹、増野亜子、濱元智行

グンデル・ワヤン「ムラッ・ンゲロ」
「ムラッ・ンゲロ」はバリ島のグンデル・ワヤンの曲で、タイトルは「孔雀が羽を広げる」といった意味です。グンデル・ワヤンの楽曲は影絵芝居伴奏のためのものと、儀礼の器楽曲としてのものと大きく二つのグループに分かれます。この曲は後者に属する代表的なものです。大小2対、計4台で演奏します。両手に桴を持って叩きながら、小指の付け根付近で逐次ミュートするテクニックがユニークです。

「インドネシアの中でも、ひときわ目立って芸能に集中しているのがバリ島の人々です。[…]グンデル・ワヤンの練習を見たことがあります。そこは内輪な場所であったため、ダラン(人形遣い)がグンデルの演奏者をひどく叱っていました。[…]ところがその間違いというのが、私たちから見れば[…]ほとんど気付かないような左手の技巧のまずさなのです。[…]このバリ島の農民の音楽教育の厳しさ[…]は、この島の芸能の高さの本当の秘密なのだと、つくづく感じました。」小泉文夫『呼吸する民族音楽』(1983)
司会:「次はインドネシアのバリ島の音楽です。小泉教授は、バリ島の人々について『世界中でこれほど歌や踊りが好きな人たちは珍しい、知る限りで比較できる所は、沖縄、それも特に八重山ぐらいであり、またアジアの中ではベンガル州が思い浮かぶ程度だ』と書いています。また、『歌や踊りが大好きな人は、世界中どこにでもいるが、ある地域全体の人が、こぞって芸能に夢中になっている所は、そんなに多くない。中でもバリ島は、その芸能の密度と質の高さにおいて驚異といわざるを得ない』とも述べています。その驚異の島で、影絵芝居の伴奏に用いる音楽、グンデル・ワヤンをお聞きいただきます。 曲名は『ムラッ・ンゲロ』です。」

6. モンゴル・ホーミー

「モンゴルのホーミー、その技のメドレー」

B. ボルド‐エルデネ

「モンゴルのホーミー、その技のメドレー」
モンゴル遊牧民の習慣、生活、文化から生まれたホーミーは自然に最も近いもので、また、一人の人間が二つの声を同時に美しいメロディーとして奏でるという、大変驚くべき歌唱芸術です。それを聞いて動物は喜び、また自然をほめたたえるために伝統的にホーミーを使って来ました。 ホーミーには、基本的に2つのタイプ、高音のシャハー(shakhaa)と低音のハルヒラー(kharkhira)があり、それぞれに喉、舌、鼻、唇などの使い方によって十数種類の技法があります。最初に習うのは後者の低音からで、強く長く歌えるようにします。ホーミーの技法は、その人の顔つき、つまり鼻や口の大きさなどによってそれぞれ異なり、ここでは私のホーミーの技を次々に連ねて、メドレーでお聞かせしたいと思います。

司会:「バリ島のグンデル・ワヤンの演奏でした。さて、1977年から1982年まで、民音シルクロード音楽舞踊考察団という組織が、ユーラシアの各地を訪れました。3回にわたるこの考察団の団長として、小泉教授は地域の調査をしました。小泉教授はそこで幾つかの仮説をたてましたが、たとえば日本の追分・馬子唄や正倉院の楽器が、東西につながる音楽文化の流れの中にあると説きました。その洞察を、誰にでも分かりやすく説明することで、当時のシルクロード・ブームの一端を担ったのです。 この調査はまた、日本にシルクロードの音楽家たちを招いての演奏会開催につながりました。本日は、当時の演奏会の演目から、特に二つのプログラムをお聞き頂きたいと思います。
最初はボルド-エルデネさんによる『モンゴルのホーミー、その技のメドレー』です。一人の人間が同時に二つの声を出す、この不思議で謎にみちた音楽が、日本はじめ世界の人たちに広く知られるきっかけをつくったのが、小泉教授でした。
続いて、新疆ウイグル自治区のラワープ独奏を、アブドセミ・アブドラフマンさんにお願いします。アブドセミさんは、民音シルクロードコンサートを通じて小泉教授と親交のあったダーウッドさんの直弟子です。曲目はウイグルの古典音楽である12ムカームより『ラク・ムカームのテーゼ間奏曲』です。 ではおふた方の演奏を、続けてお楽しみください。」

7-1. ウイグル・ラワープ

「ラク・ムカームのテーゼ間奏曲」

アブドセミ・アブドラフマン

「ラク・ムカームのテーゼ間奏曲」
ウイグル族の伝統音楽「十二ムカーム」は、詩・音楽・舞踊によって表現される総合芸術で、各ムカームを大きく1曲と考えれば、12曲の組曲とも考えられる。それらはいずれも3部分からなり、各部分はまた細かく分かれる。 ラク・ムカームは第1番目のムカームで、「ラク」は「純潔、自然」という意味をもつ。「テーゼ Täzä」とは「嘆き、悲しみ」を意味し、ムカームの第1部分で、序にあたる「ムケディメ」の次に演奏される重要な楽曲である。各ムカームの中には「メルグル märghul」と呼ぶ器楽のみの間奏部分が付け加えられる。ここで演奏される間奏曲は、「テーゼ」と「ヌスカ」の楽曲の間をつなぐ間奏曲で、拍子は4分の3拍子。

7-2. ホーミーとラワープによる即興演奏

「ラク・ムカームのテーゼ間奏曲」

左よりアブドセミ・アブドラフマン、B. ボルド‐エルデネ

「シルクロードに夢と憧れをお持ちの方々が非常にたくさんいらっしゃるので、このところ私も実は驚いているのです。[…]その理由を考えてみますと、[…]日本の文化の重要な部分を、シルクロードというルートを通じて私たちは学んだという、そういう民族的な経験が、やはり強い憧れになっているのではないかと思います。」小泉文夫『小泉文夫/フィールドワーク―人はなぜ歌をうたうか』(1984)司会:「ここで、プログラムにはありませんが、お二人に合同演奏を特別にお願いできますでしょうか。隣同士に住むモンゴルとウイグルというシルクロードの仲間による即興演奏です。
急なお願いを有難うございました。」

8. 邦楽囃子

「三番叟~五人囃子といっしょ~」

望月太左衛

「三番叟~五人囃子といっしょ~」
「三番叟(さんばそう)」は能、歌舞伎に多く取り入れられている古い芸能で、私は日本音楽のルーツとして、鼓、及び囃子、そして邦楽の普及活動の中心的な楽曲として活用させていただいております。一方、今から20数年前より台東区内幼稚園において、「おはやしの会」として活動する中で、子ども達がひなまつりに飾る人形として触れる機会がある「五人囃子」の持っている楽器の音を実際に聞いてもらい、和楽器合奏として紹介しております。「五人囃子」は現在の能楽の音楽構成ですので、私の専門である歌舞伎音楽への変遷を表現するため「五人囃子のお友だち」として三味線、箏等が加わり、時にはチェロ、バイオリン等の洋楽器が参加することもあります。子ども達は五人囃子と一緒に歌い、また小鼓を実際に打つ楽器体験もします。五人囃子は和楽器の楽しさとして記憶され、ひなまつりの度に思い出されると確信しております。今回、舞台を幼稚園に見立てて実演させていただきます。

「日本人だから[…]という一種のナショナリズム[…]で、日本の音楽を[…]教材の中に入れるよう提唱しているわけじゃなくて[…]日本人[…]はいまだに日本語をしゃべっている、日本の風土に生きて[…]祖先とのつながりもあるし、[…]一番ぴったりくる音楽から教育を始めようということで、私は前から「わらべうた」を出発点とする音楽教育とか、伝統音楽に直結するような音楽教材[…]を主張したわけです[…]」小泉文夫『音楽の根源にあるもの』(1977)
司会:「それでは後半の演奏をお聞きいただきます。 後半最初の演目は、邦楽囃子でとても賑やかな舞台をお楽しみいただきます。 小泉教授は、日本の子どもたちが西洋音楽中心の教育の場に置かれていることを深く憂慮し、いろいろな提言を積極的にしていました。今では世の中の方ほうが追いついて、そうした提言の多くが実現しています。 教授の志を継いで、子どもたちへの邦楽教育や普及に熱心に取り組んでいらっしゃるのが、本日ご出演の望月太左衛さんです。ここでは、舞台を幼稚園のひな祭りに見立て、小さい皆さんとその保護者の方々も加わった、五人囃子をお楽しみ下さい。 曲は『三番叟―五人囃子といっしょ―』です。」

9. 尺八

琴古流尺八本曲「一二三鉢返調」

クリストファー遙盟

琴古流尺八本曲「一二三鉢返調」
「一二三調」と「鉢返し」との2曲を合わせた曲である。本来、「調べ」というのは楽器を手にして音を調べ、「鉢返」は昔虚無僧が托鉢に出て施しを得た時の返礼曲として吹奏したといわれる。琴古流では、最初に習う本曲である。

「最近は外国人でありながら邦楽を勉強する者の数が目立って増えている。それも[…]一層専門的に、実践的に、そして細かな分野におよんでいる。[…]私たちは、日本の文化は日本人特有のものと強く考えがちであるが、意外に国際性を持ったものであることを無視できない。[…]やがて雅楽ばかりでなく[…]尺八の手ほどきや邦楽の基礎理論も、すべて外国人の先生に教えていただく日がこないとも限らない。」小泉文夫『日本の音―世界のなかの日本音楽』(1977)
司会:「次は尺八の演奏です。 小泉教授自身は笛が大変に好きで、縦、横、鼻笛、なんでもござれで、いつでも吹いて楽しんでいました。例えばインド留学中に蛇つかいの笛を練習して、周りの人たちから顰蹙をかった話などを書いていますが、しかし尺八だけは苦手だったようです。こんなことも書いています。『自分の恥を言うようですが、私のように一生かかっても尺八の吹けない人間もいますから、万人に向く楽器とは言えない』と。 本日の演奏者、クリストファー遙盟さんは、アメリカ合衆国出身の尺八奏者です。1970年代後半、芸大に学んでいたクリスさんたち留学生を、小泉教授は日頃から励まし、日本音楽の国際化、世界化の可能性を、彼らに見いだしていました。 ではクリストファー遙盟さんの演奏で、琴古流尺八本曲『一二三鉢返し調』をお聞きください。 」

10. 雅楽

高麗楽「白濱」

左より伊崎善之(高麗笛)、中村仁美(篳篥)、宮丸直子(三ノ鼓)

高麗楽「白濱」
中国やベトナム、インドなどから日本にもたらされた唐楽にたいし、朝鮮半島から伝来した曲を高麗楽といいます。「白濱」は高麗楽の1曲で、高麗双調というA音を主音とした調に属します。 「白濱」は、通常は蛮絵装束を着けた4人の舞人による舞楽として、篳篥、高麗笛、三ノ鼓、太鼓、鉦鼓の伴奏で上演されます。高麗笛独奏で始まり、途中から篳篥独奏が加わり、しばらくの間は両者がフリーリズムでのびやかに奏されてから、その後拍節的な合奏となるのが特徴です。本日は、篳篥と高麗笛と三ノ鼓の3人で演奏します。

「雅楽が、日本の文化に深くそまった人でなくてもわかりやすい根本の理由は、[…]本来は外国の音楽であり、したがって性格は、濃厚に国際的な感覚に基づいているからです。[…]日本の中にあって日本の性格、日本人的要素というものをもちながら、なおかつ、それが超民族的に人類一般の音楽の美しさに広がっていく可能性をもった音楽という意味で、やはり、雅楽が日本の代表的な音楽であるということも、間違いではないと思います。」小泉文夫『日本の音―世界のなかの日本音楽』(1977)
司会:「1961年、芸大に初めて雅楽のクラブができ、毎週土曜日の午後に宮内庁の楽部から東儀和太郎[とうぎまさたろう]先生を迎えて、雅楽を教えて頂きました。小泉教授も骨董屋で買ったという篳篥を手に、学生にまじって一緒に練習していました。このクラブは後に正式の授業となり、さらに邦楽科の一専攻として現在に至っています。今日、活躍している雅楽演奏家のなかには、芸大をはじめとする音楽大学ではじめて雅楽に出会ったという方々が少なくありません。 演奏は高麗楽『白濱』です。」

11. インドネシア ジャワ・ガムラン

「PÈNGÊTAN 33 TAHUN SANG FUMIO KOIZUMI 小泉文夫“頌”」

ルバブを弾くサプトノ

「PÈNGÊTAN 33 TAHUN SANG FUMIO KOIZUMI 小泉文夫“頌”」
ジャワのガムランは青銅製の体鳴楽器を中心にルバブ(二弦の弓奏楽器)や木琴、歌も加わり、太鼓が全体をリードする、東南アジア最大規模というべき合奏形態である。17世紀頃までに中部ジャワの宮廷で集大成されたもので、現在サプトノが楽長を務めるスロカルト王家にその本伝統が継承され、インドネシア共和国成立以降は、一般にその様式が広まった。 当曲は、形式の異なる伝統的な三曲を、サプトノの編曲により繋げたもので、詩は新たに作られた。曲の形式と旋律は詩の内容と融合し、故人を思い褒め称える“頌”となっている。第一曲「トゥルトル」では、独特な旋律法が用いられ、深い悲しみが、第二曲「ムガトゥロ」では、祈りが、第三曲「エレン・ビエン」では、残された者たちの活力が、表現されている。フル編成に近い形で演奏され、サプトノはルバブと太鼓を担当する。演奏と歌に参加するのは、サプトノの弟子たちである。

「二年間もの紆余曲折の末、とにかくかつて王宮に所属していたといわれる由緒あるガムランが芸大のものとなり、[…]私の夢の実現につながった。[…] たった一度でもこの仲間に入って、一番やさしい楽器を見よう見まねでさわった人は、必ずこの不思議な響きの虜になる。[…]ガムランの良いとこはいろいろあるが、第一には何も知らない人でも、すぐ参加できるほど容易なパートもあるし、何年やっても到達できない程の奥深い技巧も要求されるといった広さにある。幼い子ども、元気のよい青年、やさしさにあふれた女性のソロ、渋いが重要な働きを持つ老人用の独奏楽器。これらがやたらと自己を主張し合うのではなく、互いの間隙を縫うような具合に調和よく結合されて、全体としてのアンサンブルを形づくっている。こんなに洗練された、こんなに人間的な音楽を作り出したジャワの人びとの社会は、一体どんな仕組みになっているのだろうか?」小泉文夫『空想音楽大学』(1978)
司会:「いよいよ本日の演奏会、最後の演目となりました。ジャワのガムランです。 ジャワのガムランもまた、小泉教授がこよなく愛した音楽です。この音楽に、そしてこの音楽を作り上げる人間関係のあり方に、日本の音楽の将来を託していけると、小泉教授は考えていました。日本人はガムランに向いていると、見抜いていたのです。そして実際、日本はインドネシア国外で、ガムランが最も盛んな国の一つとなりました。 小泉教授とジャワのガムランとの関わりは1967年、アメリカのウェスリアン大学での出会いに始まります。1971年には、スレンドロ音階による小規模なガムランセットを購入し、自宅で毎週、学生たちと一緒に練習していました。その時の楽器は、いま小泉資料室に保管されています。 この年、小泉教授はジャワで、最高級のガムランのフルセットが売りに出されていると聞きつけます。その楽器は19世紀に、本来は宮廷に納めるためにつくられたものの、事情があって市中に流れたものだといいます。数年にわたる粘り強い交渉の結果、ついに、この楽器が芸大に納入されました。1973年のことです。 ガムランの教育に対する小泉教授の熱意はこれに止まりませんでした。1979年には、ソロのガムラン演奏家、サプトノ氏を芸大に迎えました。サプトノ氏は、アジアから芸大に招聘された、はじめての、そして現在まで唯一人の、専任待遇の外国人教師です。その指導のもと、学生の演奏は長足の進歩をみせ、1982年1月には大学主催の『ガムラン特別演奏会』を開催するに至りました。 芸大でガムランの洗礼を受けた学生たちはやがて、大学から独立した演奏グループを結成しました。彼らは日本各地にガムランを導入し、インドネシアとの交流を深め、いま、活発な公演活動とともに、若い世代にガムランを教えています。 こうした歴史をともにしてきた、ガムラン第一世代から最近の卒業生までが、今日この演奏会のために集まりました。そして、現在ソロ王宮の楽長でありインドネシア国立芸術大学教授でもあるサプトノ氏が、このためにジャワから来日しました。本日の演奏曲はサプトノ氏の作詞・編曲になるもので、その歌詞には、小泉教授に対するサプトノ氏の思いがこめられています。 実は、この新奏楽堂でガムランが演奏されるのは今回が最初です。この記念すべき機会に、さきほど申し上げた、1973年に輸入されたガムランセットを使用いたします。現代の楽器にはない、豊かさと繊細さを兼ね備えたこの名品の響きを、皆様とともに楽しみたいと思います。ではサプトノ、田村史子、サプトノの弟子たち、以上のみなさんにより、『小泉文夫“頌”』三十三回忌記念曲、をお聞き下さい。 」

エンディング

散華をする出演者たち

ジャワ・ガムランの調べが響き続ける中で、すべての出演者が再登場し、散華を行った。

司会:「最後に、もう一度、出演者の皆さんにご登場いただき、散華をしていただきます。 小泉文夫教授もきっと、どこか高いところからこの舞台を眺め、その音を楽しみ、どこかでにこやかに笑っていることでしょう。 皆さんの温かいご厚意によって、この小泉文夫記念音楽会を開催することが出来ましたこと、こころよりお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。 」

印刷物

チラシ

チケット

パンフレット

蛇腹状のパンフレット A面
蛇腹状のパンフレット B面

DVD

ドキュメント映像(寄附者の方へ配布した非売品。)